デザイン

学び場とびらでSDGsを共に学ぶカズキ氏がとびら内職で初めて手に入れたバイト代を何に使うのか? バイト代といってもeumoだ・・・3か月で消えるため貯金はできない。 イケウチオーガニックさんでタオルを購入するのか?それとも革靴をはいた猫さんで靴を磨くのか?それともとびらでエベスィスィか?? 京都はeumoが使える場所が多いとはいえ、16歳が欲しいものは少ないと思う。 私だけでなく学び場とびらの住人たちはカズキ氏の動向を静観していた。 結果として彼が使ったのはRieさんが仕事をしながら得た経験を話すセミナーだった。 (Rieさんのセミナーの内容がメチャクチャ良かったで割愛いたします。) 昔、中国の文化革命を経験した華僑の方に、「お金を使うなら何に使うか?」と質問ら即答で、 「教育」と一言で帰ってきた。お金や財宝は持っていけないけど知識は持っていけるからだそうだ。 この話を彼のお金の使い方を通して思い出した。 彼の初給料は、自分への教育に使ったのだった。

学び場とびらでSDGsを共に学んでいるインターン生カズキ氏が最初に行った事業はイベントだった。 結果は大惨敗。(当日のオンラインセミナーは講師・カズキ氏・カズキ氏の母のみだったらしいw) しかし、彼は最後の最後まであきらめなかった。色々な改良を重ねながらタスクを進めていった。 全力をだしての失敗は、成長する上で、成功するよりも変えれない価値がある。 成功にはあらゆる事象が重なって成功をなす。もちろん運もある。 失敗には必ず要因がある。だからこそ学びも必ずある。 彼が惨敗したことで、もう事業をしないと嫌になるのでは??と心配した。 そこで、私が緊急でカズキ氏の大反省会を企画した。 緊急ではあったが10人以上の大人が参加してくれた。感謝しかない。 (カズキ氏のイベントより多いw ちなみに参加費は投げeumo。) そこで彼は「もう1度イベントを企画してやります。」と宣言した。 僕は本当に感動した。事業をはじめると失敗≒リスクと考えがちだが、失敗は事業を進める上でのプロセスだと認識しているのだ。 学ばしていただきました。あざ~す。

僕の同期は変わっている 我が家のリビングである学び場とびらにて、大人たちと交わることを目的にインターン生を募集した。 私もノリでオーバーエイジ枠にて参加した。 とびらのインターン生である、期限は3か月だが、もちろん放置、自由、強制なし。 そんな感じで8月中旬よりスタートした。 その中で、私が最年長、最年少は16歳の起業家高校に通う少年カズキ氏。 彼は中学生の多感な時期を親元を離れて、マレーシアで過ごした為か、バイタリティがスゴイ。 スゴイを通り越して、時折アホ?バカなのか??と思うことすらある。 それぐらい、私の歩んできた常識が通用しないw バイタリティがスゴイのもあるが、彼はわからなければ学ぶ、本を読む。 学び場とびらの変態たちと交わりながらアウトプット・インプットを繰り返す。 彼を見ながら自分の16歳を思い出す。 私は16歳の時に決めたのは、「一生、日本から出ない」ということ。 それは、安全大国日本にかこつけて、英語が苦手なことのコンプレックスから出た思考だったのだが・・・ (その後、某社によりアホみたいに海外での珍道中を繰り返す事になるなんて・・・)

デザインの意味は、計画・意図・構想・設計・図案・意匠など幅広い意味があります。「モノ・空間・情報」の3つに大きくは分けられます。それぞれの視点を総合してデザインを行っていきます。その中でもイメージしやすいのは「モノ≒道具」を中心としたデザインではないでしょうか?私たちは進化の過程で言語や二足歩行など能力を身につけ今日にいたります。その過程で、道具を発明・改良し生活環境や文化を形成してきました。特に18世紀後半からの産業革命は機械を発明し全世界の人口増とあいまって大量生産大量消費を生み出しました。そのような急速な機械化は人間性を少しづつ削除していきました。そこで、人間性の再生・新たな生活環境の創出をするためにデザインは生まれてきました。現代、日本は世界で最初に人口減少が起きた国家です。人口増加と共につくられた大量生産大量消費いわゆる工場生産型の社会は構造の根底から崩れ始めています。今後、生活の仕組みも含めて新たなデザインが求められる中で、モノのデザインであるプロダクトデザインは非常に重要な領域といえると思います。